山本正之のズンバラ随筆  第33話 ステレオの歴史

 

ボクが初めてステレオを見たのは、ケイちゃん(「ボクの夏」に登場)の家だ

った。居間の続き間のお座敷の、西側の窓の下に鎮座ませましていた。その形

を絵図を書かずに伝えるのはちょっとむづかしいが、ズンバラの掟なので(お

い、いつ決めたんだよそんな掟、って、すみません、いつのまにか自分でそう

決めちゃったのよ。だからバースデイソングの社長さん、あの時の伝説の白ワ

イン、「ドメーヌミッシェルニーヨン1993」とのツーショット写真、のせ

なくてごめんなさい、。)、なので、文でその形を説明すると、‥‥‥、

まず、正面から見て、足がある。4本。30センチくらいの。その上に、縦、

30センチ、横、1メートルくらいの本体。正面全体に網が掛けられている。

今でいう「サランネット」だ。ほら、スピーカーの前にカクって取り付けられ

てるアレ。じゃあ、ぜーんぶスピーカーかっ?て、そうでもないんだな。つま

り、真ん中の板の前にも、網が張られている。だから、全体がスピーカーみた

く見える。で、奥行きも30センチくらい。で、端から端までを、1枚の蓋が

覆っている。さあ、次は平面図(上から見たところ)。縦30センチ、横1メ

ートルのこの蓋を両手で開けると、中央の40センチ幅分にターンテーブルが

あり、私の記憶が正しければ、確かそこの手前部分に格ツマミ(電源や音量な

ど)があった、と、おもうよ(ハカセの声で)。当時はまだ、トーンコントロ

ールはもちろん、カセットやらへの接続ファンクションもなく簡素なもの。

レコードの回転数が、16、33・1/3、45、78と4種類あって、

LP(LONG   PLAY の略で今のアルバムサイズ)は33〜で聴き、

EP(EXTENDED   PLAY の略で今のシングル)は45で聴いた。

78はもっと昔のSP盤(STANDARD PLAY の略)用で、あまり

聴かなかった。では16回転は何を聴いたの?、うーーん、わからんなあ、で

もずいぶん後になって「16回転用シングル」なんてのが出たなあ。全然普及

しなかったけど。、で、ターンテーブルの脇に直系5ミリ程の突起があって、

普段使わないEP用のアダプターをはめ込んでおいた。そうです。EP、後年

はシングル盤と呼ぶようになったこのレコードは、ドーナツ盤といって、真ん

中に直系約5センチの穴があいていたのです。「燃えドラ」も、「うぐいすだ

に〜」も、「タイムボカン」も、みーんなこのドーナツ盤だったのです。が!

たった1社、ビクターだけが、この穴のなかに三菱型のような橋渡しを付けて

アダプターなしでも聴けるように製造していたのです。(ヤッターマンの歌の

頃には、他社と同じくドーナツになっていた)。だけどさあ、逆に面倒だった

なあ、シングルを掛け変えて自分のフェバリットカセットを作る時アダプター

取ったりはずしたり、あれ?、ちがう、取ったり付けたりして、だ。

さて、そのステレオの平面図、ターンテーブルの左右はどうなっていたか!、

フフフフフ、そこは、四角い窪みになっていて、そこに、そのステレオの持ち

主の、だあーいじな、レコードが収納されていたのです。

ボクは、ケイちゃんの家で、おじさんに「ステレオいい?」とお尋ねして「は

い、どうぞ、」というお返事を待ってから、ウキウキと重い蓋を開け、左右の

窪みに秘されたLPレコードの数々を、目を輝かせてチェックするのでした。

「あ、三波春夫だ、あ、ダークダックスだ、この三橋美智也は‥前からあった

 よな、おおおー、アメリカの歌手だ、エ、ル、、プレス、リー、ふーーん。

 おじさん、これ、かけてもいい?」

「はい、どうぞ、」

ケイちゃんの家のお座敷で、みようみまねのツイストを踊った。

 

そしてフューイヤーズレイター、前回のズンバラに書いた父のオチャメがあっ

てから、これが、うちのおやじの最高にいいとこなんだけど、オチャメの後、

すぐに本物のステレオを買ってくれた。ナショナル。今のpanasonic

だ。だからボク、panasonicすき。だから、ハイホーもスキ。

この、山本家のスター、ナショナルのステレオは、すでに、スピーカーの網が

左右に分けられていて、正面図、真ん中の40センチ四方のボードには、その

頃から流行り出した、エコー、とか、スプレッド(今のディメンジョンのよう

に音をより一層広げる装置)とか、バス、トレブル、も個別について、わずか

2、3年で、どえりゃあー発展のしようだがね、。

ボクは、このステレオで、毎日毎日、ベンチャーズや、スクリーンミュージッ

クや、村田英雄(これは父のいない時こっそり)や、父が会社の定期配達商品

で買って来てくれた「お茶の間コンサート」っていう、クラシックのアラカル

トLP(これはとても珍しい、25センチLP。普通は30センチ。)や、こ

れまた父が、名古屋の名鉄百貨店のワゴンに山積みになって売られていた中古

の、ジャケットすら無い、ほとんどハダカのEP、ザ・ピーナッツの「スクス

クドール」(ボクはこれに自分でジャケットを作った。もし保存してたら、年

末に高くうれるかなあー、でも、もう安城の家のどこを探しても無い。)や、

トランペットのムード音楽のソノシート(これは今でもあるぞ!このデスクの

1メートル先の、NYの写真アルバムの棚の下の秘密の扉の奥に!)や、姉さ

んが誕生日にプレゼントしてくれた、スイム(ダンススタイル)を踊る曲「チ

キンオブザシー」や、、ひさしくんとひろしくんと貸しっこ借りっこした、カ

ンツォーネや、シャンソンや、そして、もちろん、ビートルズ、や、

毎日、毎日、ウキウキと聴いた。

 

その、我が家のスターのステレオが、  壊れたのは、

‥‥ボクのせいだった。

 

ひろしくんから、グヤトーンのエレキギターを借りてきた。アンプはない。

誰かが言ってた。ステレオのスピーカーに直接取り付ける部品を買えば、アン

プになるって。50円くらいだった。ボクはそのフォンジャック用の部品を即

買い求め、ドライバーで、ステレオの片方のスピーカーに付けた。そして、そ

の部品を、ターンテーブルの横に固定した。エレキのジャックを差した。

ジャラーーン、おおおーー、音が出る!、ジャラジャラジャーーンン、おおお

ーー、ノーキーみたいだ!、こりゃあいいや!50円でアンプができたよ!

ボクはそのステレオ改造アンプで、日毎夜毎エレキを弾いた。クゥィクゥィー

ーーン、カックイイーー!。

 

そして、悲しい夜がやってきた。

 

右のスピーカーが、意味なく、歪む。

今でこそ、エレキの歪んだ音(オーバードライブ)は主流であるが、当時はノ

ーマルサウンドが本筋。なのに、常時歪む。ボクは慌てて、レコードをかけて

みた。やはり。右だけ、ガザゴゾーーバギャボギョー、と、いう音。歌も楽器

も、ガザゴゾバギョーーー、。

ボクはもっと慌てて、スピーカーに付けた部品を取り外し、またレコードをか

けた。、、‥‥、ガザゴゾーー、バギャボギョー、。状勢はかわらない。

ボクは、そのステレオの前で、立ちすくんでしまった。。、胸が、くーーって

縮まって、ドキドキして、耳があつーーくなって、全身が、かあーーって焦っ

てきて、、。そして、一気に、ちからが抜けた。その場に座り込んだ。あの、

父が貼ったポスターが、頭をよぎった。キレイな健康なステレオの姿、。

そこへ、姉さんが二階から降りてきて、ボクを見た。、ステレオを見た。

「やっぱりね、。」

 

何日かあと、

父が言った。「おい、ぼく、このごろ、ステレオ聴かんねえ、」

ボクは正直に、父に話した。父は、「そうか、そうなったか」と、ステレオを

見た。  聴いたのではない。 見た。

 

やがて、電気屋さんがやってきて、ステレオは修理され、もとの音で鳴るよう

になり、姉さんがポップスを聴いたり、ジャズを聴いたり、。

でも、ボクは、なかなか、‥‥なかなか、ステレオにさわれなかった。

応接間の、ドアの横で、じっと居る、ステレオ。ボクが傷つけたステレオ。

一カ月。

姉さんが、ザ・サベージの「いつまでもいつまでも」のEPを差し出す。

「これ、かけなよ、あんた、サベージ好きでしょう、かけなよ、ききな、」

 

ボクは、久しぶりにステレオにさわる。アームのブリッジに指をくぐらせ、針

を、盤面におく。

 

綺麗な、ああ、綺麗な音楽が、スピーカーから流れてくる。

 

ステレオが、ゆっくりと、ダンスを踊って、ボクを抱きしめた。

 

 

時は流れ、ボクは大学生。駒沢大学経営学部経営学科。専攻ゼミは内藤教授の

「本百姓体制下の水呑百姓の研究」。

同じクラスで同じゼミの、下田君が、これが、どすげえロックマニア。実家は

一宮の料亭。毎週水曜日に、大学正門前のレコード店に寄る。

「あ、はい、下田さんね、えーと、ピンクフロイドと、レッドツェッペリンと

 フー、と、あと、新しいLP5枚ね、」

「あー、きてましたねえ、どうも。、ほんじゃあ、今日はこれだけ、取り寄せ

 てください、」、と、メモ用紙を店主に。

「あー、はいはい、じゃあ、とっときますね、。しかし、あなた、だいじょう

 ぶですかあー、おこづかい、かかるでしょう、いえ、うちは商売だから、た

 すかるんですけどね、まだ、学生さんでしょう、、」

「ええ、学生だから、集めとるんです。今のうちです。」

ボクは、下田君のアパートへおじゃまし、いっぱいのニューアルバム(ただし

すべてハードロック)を、高級ステレオで聴き放題した。そして、自分の下宿

に帰る。

そこにあったのは、小学校低学年の時に使用していたプレーヤー。つまり蓄音

機。これで、ナターシャセブンやキャロルキングを、しみじみと聴いていた。

「あああ、ここに、ステレオがほしいなあーー、。」

この心の声が、母に届いた。(というより、母にねだった。)

「まーくん、さわでん(実家のお隣にあった家電屋さん)にたのんであげるで

 カタログを送りなね。」、中町公園の公衆電話ボックスだったなあー。

しばらくして、SONYのモジュラーステレオが下宿に届いた。スピーカーを

壁にかけて、下に座って、エルトンジョンや、ジャックスを聴いた。

レシーバー(アンプとチューナーがひとつに組み込まれているもの)の目盛り

がライトグリーンで、夜中、音を絞って、まっくらにして、タンゴを聴いた。

ほとんど母の内職と、わずかの、ボクのアルバイトで、下宿のスターになった

SONYのステレオ。何年も聴いた。プロの音楽家になっても、まだこれを聴

いていた。したがって、「燃えよドラゴンズ!」も「タイムボカン」も、この

ステレオのターンテーブルの上で、最初に回った。緑のレシーバーは、今も、

この仕事場にある。オーディオラックの最上段に、象徴としておいてある。

 

そして、世田谷から中野新橋に移り、マンションになった。少しは大きな音も

出せる。というか、そろそろ、緑のステレオも疲れたらしい。もう、高中音が

シャカシャカになった。新しいステレオを買おう。

やって来たのが、前者と同じくSONY。銀色のボディー。プレーヤーは、お

そらく世界に1機種しかないだろう、フロントローディング。つまり、今のビ

デオデッキのように、ターンテーブルが引き出しのように前に出てくる。だか

ら、上に何かを乗せられる。これはすごい発明だと思ったが、全然広汎されな

かった。重宝で、音も良かったのに、不思議だ。

このステレオを、7年聴いた。ポップロックのボビーコールドウェルやリーリ

トナー、フュージョンのガトーバルビエリやワシントングローバージュニア、

ソウルのマンハッタンズ、R&Bのファッツドミノ、この頃からのめりこみは

じめた、精神派ジャズ、ジョンコルトレーン、。ブルースのBBキングも、彼

と親交深い、クレセイダーズのベース、ウィルトンフェルダー、も。

 

そして、ステレオを、セットではなく、パートで揃える時が来た。

ボクは、プレーヤーを残して、アンプ、スピーカー、チューナーを手離し)、

トリオのプリメインアンプ(プリアンプとパワーアンプが一つになったもの)

と、ソニーの青いチューナーと、長年の憧れの的、ダイヤトーンのスピーカー

を手に入れた。奇しくもそれは、中野坂上に移動した、その日であった。

引っ越しのお手伝いをしてくれていた後輩の角谷くんが、玄関で配送の梱包を

確認してから、「せんぱいーー、お待ちかねが、来ましたよーー、」って。

それを、12年聴いた。

シンセサウンドのジャンミッシェルジャール、C&Wのカーターファミリー、

柳家金語楼の落語、グルジア民族のバラライカ、ジョースタッフォードのオー

タムインニューヨーク、ハードロックのイエス、AC/DC、REOスピード

ワゴン、ウッディアレンの映画で輝いていたジョージガーシュゥィン、、もっ

ともっと、たくさん聴いた。

 

そして、中野新井町へ移動。

同時に、やはりスピーカーが疲れた。低音が、やや響かない。

でも、それからまだ、5年、藍色のサランネットのダイアトーンを聴いた。

そして、世代を交代させた。

同じダイアトーン。ダークブラウンのサランネット。新宿ヨドバシと、秋葉原

石丸電気に、何度も何度も足を運び、こいつを選んだ。

クラシックも、ジャズも、演歌も、、そう、山本正之も、忠実に再現する、こ

の、DIATONE・DS600DXを買った。

アンプはDENON、アナログプレーヤーも、CDプレーヤーもDENON。

先の機材たちは、みんな、しかるべき親しき人々の部屋に納まった。

 

ボクの仕事場は、6階建てのマンションの6階。だから、上はいない。南側は

ベランダ。東隣は別のビル、西隣は当マンションの倉庫。北側は空地。下は、

我が家のお風呂場と玄関。だから、まわりに、だれもいない。

今、夜中の3時。

ボクは、ステレオを聴く。

それは、世田谷の下宿で、蓄音機をひそひそと聴いていた頃のように。

人々が眠る時ほど、ボクは音楽を聴きたくなる、

そしてボクは、

 

歌を、つくりたくなる。