山本正之のズンバラ随筆 第13話  ドンドンの解明

 

今でこそ山崎町というけれど、ボクが生まれた頃は山崎村大手合番地だった。

天気のいい日曜日、父親に「おとーさん、どっかつれてって」とせがむと、

「よし、ほいじゃあ、でかけるか」と立ち上がり、着物の上からマフラーを巻

く。姉と二人でよろこびいさみ、「どこいく?」、父親ひとこと「山崎。」

二人、がっくり。この山崎のじいちゃんの家は、ボクの家からは、歩いて40

分。自転車で15分かな。父利信は山本家の長子であったが、家督を継いでい

ない。敷地内の東南の一角の5坪ほどの畑地を相続しただけだった。複雑な事

情を、ボクは知らない。

山崎村大手のこどもたちの遊び場、それが、今回のタイトルの「ドンドン」で

あります。この「ドンドン」のイントネーションは、たとえば、「先生」とか

落語の、古今亭「志ん朝」などのメロディーで発音してください。練習してみ

ましょう、はい「ドンドン」、そう、よくできました。

 

祖父の家。槇の木の門を出て、二間くらいの道を渡り、葱畑を抜けると、小川

が流れている。小さな橋の上からタモを差してメダカをすくったり、水の中に

入ってシジミをとったり、夏には泳ぎもしたそうな。トンボも飛び、空も青か

った昔。なぜ、ここを「ドンドン」といったのか、よく分からない。三河弁で

大掛りな焚火のことをやはりドンドンというので、ここでよく焚火をしたので

はないか、と、BABARはいっていたが、ちがうよなあ、葱が燃えちゃうじ

ゃないかよ。こどもたちがどんどん集まってくるからではないかというのが、

姉信子の意見。しかし、当事者の父の推察がやはり当たってる気がした。それ

はこういうこと。川の5メートル南に、東海道本線の線路がある。橋を過ぎて

その線路まで行くと、ガード下になっている。昭和初期、いや大正時代、線路

の下の支柱は木製で、その中に立って、上を列車が通過すると、「ドンドン、

ドンドン、」と響くのだそうだ。父は実際にその音を聞いている。

この「ドンドン」という場所、今でもある。同じところに同じ規模で。ただ、

木枠はもちろん鉄柱に変わっているが。

 

去年の十月、自動車で岡崎に歯の検診に行ったあと、久しぶりに山崎に寄って

みた。家は叔父のこーちゃんが建て直してきれいになっていて、となりには、

三男のあっちゃんの家もあり、暖かいネイバーフッド。北側の田圃はすでに住

宅地と化しているが、それ以外は、随分と昔のままだ。ボクが凧を上げた側道

もでこぼこのまま。模型飛行機を飛ばした雲松山のお寺も、かなり痛んではい

るが健在。ああ、あのお寺のこっちにほったて小屋があって、そこにキチガイ

の女性がすんでいて、いつもはだかで鍬を振ってたなあ。伊勢湾台風の時、じ

いちゃんたちが避難した公民館もそのままある。

ボクは自動車を止めた。

前に記した、父の所有地だった5坪の畑地を、父が亡くなった時、ボクは相続

せずにこーちゃんに面倒見てもらうことにした。そこが今、山崎山本家の駐車

場になっている。ボクは、そこに自動車を止めた。堂々と止めた。いいよね。

鳥が一羽、頭上を飛ぶ。

キーをポケットにしまいながら、二間の道を渡る。葱畑。小川。橋。

「うんうん、まだある、ドンドンだ。」

何十年も、父の話しのままだった。

今日こそ自分で聞いてみよう。ドンドンって響くの。

下に入る。すぐに、東海道本線の下り列車がきた。ドキドキ。絶対にドンドン

って響くぞ、ドンドンだ。

列車がとおる。

 ガラガラガラガラ、ガラガラガラガラ、鉄だから、ガラガラガラガラ、

「あああ、ガラガラドンドンだああーー!」

 

別にオチをつけるつもりはなかったんですが、すいません。ほんとのことなん

です。

昭和三十年代、お正月や、お盆に、山本家支裔が集まり、寿司をくい、みかん

をたべ、花火もした、この山崎村の記憶、あ、ボクが、父と二人で体験した、

あの不思議な龍凧の話し、

それはまた、いつかお話ししましょう。

 

もしもあなたが、東海道本線に乗って、安城と岡崎のあいだ、山崎大手あたり

をとおるとき、こーちゃんの息子のみのるくんの、緑のワゴン車が止まってい

る駐車場を見たら、そこが「ドンドン」です。

 耳を澄ましてごらん、

「どんどん、どんどん、」と、昭和の音がきこえるからね。