山本正之のズンバラ随筆  第11話            津田沼裏の木管

 

事の発端は、イシバシ楽器御茶ノ水店の高木さんからの電話であった。

「山本さん、私、11月1日付で、津田沼店に移動いたします。」

 

この度は、店長として栄転である。、ということは、もしボクが津田沼まで訪

ねて行けば、「ちょっと、お茶いきましょう」、てなことができるぞ、それど

ころか、「ちょっと、メシ、いきましょう」、なんてこともできるぞきっと、

それどころか、「じゃあ、ピック10枚とハモニカ1個おまけしときます」、

なんてこともできる、かな?、それどころか「じゃあ、1万円引いときます」

なんてことも、ーーできねえだろうなあ、きっと。でも、そんなことより、な

により、高木さんと、ゆっくり話しができる。狙ったギターの材料の出所やら

フロアーの端っこと真ん中での音の響きの違いやら、ついでに、高木BABA

Rの様子までも、時を気にせず楽しめるぞ。だって、店長だもの!

 

御茶ノ水店は、縦細長のふるーいビルで、ちょっと暗くて、うん、通路がせま

かった。が、

 

初冬の暖かな午後、行きましたよ、行ってみましたよ、この山本正之が、あの

津田沼くんだりまでっ!

JR総武線の駅を降りて、ありゃーなんつーの?何口っつーの?、とにかく、

町じゃない方。おそらく昨日まで畑ばっかりだった方。なんだか、新しいビル

がいっぱい建っててさ、ユザワヤもあるんだって?、へえーー。ユザワヤっつ

ったら、吉祥寺にしかないものだソナ(三河弁で「にちがいない」の意)と思

っていたのに。ロッテリアもあるし、ロイホもあるぞ、信号のとこで、どこか

の店舗の交通ガードマンが「まもなく赤に変わりーす」なんて大声出してて。

その横断歩道渡ったところ、あるある、あっったあった!

イシバシ楽器津田沼店!。ワンフロアーだ。なんだあ?!この広さは!

ボーリングできるぞ、キャッチボールできるぞ、やりたくないけどサッカーも

できるぞ!、、そんな店内、ワクワクしながら探索して行くと、んんんんん!

いた!    いたいた、ヘイヘイ高木店長!

「あっっ、山本さん!」           ボク、ほくそえむ、「うふふふふ、来ちゃった」。

「いやあー、お恥ずかしい、こんな田舎までようこそ。ささ、どうぞ、」

「いえいえなになに、とりあえず、ギター、見せてください」、「はいはい、

 こちらでございます」。

 

話しは一週間前に遡る。家人に命令されて、四谷の魚久まで銀鱈の西京漬けを

買いにいった帰り道、生来の歩きグセが出て、新宿通りを遊歩した。東京中ど

こを探してもゲットできないビリジアン色の勉強机をサラリと売っている家具

屋や、昭和三十年代のジャズ歌手・中原みさおのシングルレコードをタダで配

っていたスナック、劇団がらくた工房の頃、毎夜榎雄一郎と飲み明かしたバー

・ブラウンの跡。そのがらくた工房の事務所のあったマンション、大きな交差

点、サンミュージックの下、くやしくてつらい、サスクハナレコードの近く、

やさしくて逞しい、アルファエイハンの角、「急げタクシー」を録音したあと

水谷優子とコーヒーを飲んだ、古びた喫茶店、オカマの二丁目、「しゃちほこ

スターダスト」の打ち上げをした「オカピ」の跡、こないだビジュアルスペー

スの大山社長と飲んだソラマメの居酒屋、また大きな交差点、左に画材の世界

堂、右に、、、うん、イシバシ楽器新宿店。こんど、演歌を歌う時、自分所有

のガットギターを弾きたい、2万円くらいのカルカッシュ、あるかなああー?

十月のライブの直前ここに来て探したけど、子供用の四分の三が一台あるだけ

だった。だから、あんまり期待できないな。でも、散歩ということで、ちょこ

っと見てくか。

なあんだあーー?このガットの数はあ!?         ひいふうみいよお、すごい在庫量

だよ!、オレ、あの時、見落としてたのかあ、えっ?なんだって?

メイドイン・スペイン?!

「すいません、これ、さわらせてください!」

立ち並ぶスパニッシュギターを、次から次へと弾き比べる山本正之。

必殺シリーズのバラの場面から、特捜最前線のエンディング、西郷輝彦の星の

フラメンコ、果ては、夫婦酒場、花の芸能界、まで試奏している山本正之。

30分程たっただろうか、担当の店員が、ボクの背後から、スーっと来た。

「あのー、お客さんほど弾かれるのでしたら、これ、お薦めしますけど」

それは、ハードケース付7万円の、黄色い無名のフラメンコギター。

うん、たしかに、いい音だ。無名、というところが、、、魅かれる。

「だけどさあ、今、この3万円のアルマンサに決めたところなんだよねー、

 んんん、7万円かあ、」

「はい、こちら、ミュージシャンのかたが必ずお望みになられる弦高の低さも

 バッチリOKですし、ここ、ここに、ちょっとだけ傷があるんです」

そんな傷、ボクには見えなかった。

んで、ボクは、そのギターを買ったのか否か。初期設定は、2万円である。

 

ゆっくりと、アルマンサの音を確かめたかった。2万円だって、いやいや、

1万円だって、いい音はいい。日本の楽器屋で初めて対面したアルマンサを、

じっくり試してみたかった。

だから、津田沼に行った。

イシバシ津田沼店のギター売り場の椅子には先客がいた。二十代半ばの女性。

「‥‥みたいなのをやりたいんです」。担当店員が丁寧に説明している、

「それなら、フォークギターですね」 んん?フォーク?、オレの専門じゃな

いか、どれどれ、と、でしゃばりたかったが、わきまえのある山本先生、

しばらく時間を見送ろうと、他の売り場を散策する。

さて、ここからが、本日のズンバラ随筆の本題である。

 

木管楽器売り場。 木管というのは、総じて、サックスとクラリネットと、

ファゴット、オーボエ、フルートである。サックスとフルートは近代、金属を

使って生産するが、昔は、木、で作っていた。だから、今でも木管楽器だ。

美しい女性店員がいた。黒髪をひとつに束ね、化粧気も薄い。

融け合った家族がいた。父と母と、姉と妹。姉は中学、妹は小学生にみえる。

妹が、ショーケースのアルトサックスを指さす。姉も、それを指さす。

父も母も微笑んで見ている。

女性店員、鍵を開け、そのアルトを出す。妹の前に、静かに、慎重に、そして

堂々とそれを置く。妹、見つめる。女性店員、(ボクにはとても意外な)動作

を始める。妹に対し、サックスの、指を教える。

「これが、ド、です。ここが、ラです。半音は、ここを、こう押さえて、

 こうすれば、オクターブです、」

綺麗な、横顔で、アルカイックスマイルで、小学生に、です。です。って。

 

数分後、ボクは高木さんに聞いてしまった。「あの店員さん、あのー」

高木さん、さすが、わかってる。

「あの人は、初め、渋谷店にアルバイトでいたんです。木管が好きで、大好き

 で、一日ひとりでも、いえ、一月にひとりでも、木管を、自分のお部屋に

 お持ち帰りいただいて、その音を、楽しんでいただければと、

 彼女の家が、千葉で、渋谷まで遠くても、通って、この、津田沼店が出来た

 とき、社長が、呼んで、すぐ、ここに来て、

 あの人がいるから、この店の管セクションが存在するんです。」

ボク、昔、中学生の頃、クラリネット吹いてた。

「管の音が聞こえると、本当に、楽器屋さんにいるって、実感するよね。」 

高木さん、うるむ。

「こちらの店に来て、なんか、このごろ、いいかんじなんです。」

 

無言の時間。

 

新しいお客が来て、高木店長、接客に向かう。ボク、シンセや、クラビノーバ

や、ボンゴや、マラカスや、スズを、好き放題に鳴らして遊ぶ。

ギター売り場、さっきの女性客、決めたみたい。担当店員が倉庫に向かう。

ボク、生来の興味深さでつい、高木さんに言ってしまう。

「あの人、フォーク買ったのかな、それとも、ガットかな」

高木店長、倉庫に走る。

「フォークだそうです。当店オリジナルのギターをお求めになりました。」

ボク、大きな、宇宙的な、ストイックな想像。

「あの人、続けるといいなあ。そいでまた、ここに来て、次のギター、

 探すといいなあ。」

 

山本正之オフィス資料部長の伊藤もドイツ製のクラリネットを所有している。

彼女が底無しの貧乏の頃、良い値で買いとってくれる店を問われたが、ボクは

応答を控えて、伊藤に云った。せっかく買った楽器じゃないか、と。

そのクラリネットは、今も伊藤の部屋で、洋々と、彼女の生活を称えている。

藤原にあげたシンセも、亀山に質屋に売られたJUNO−60も、どこかで、

朗々とその音を謳歌している。

ボクが、十代の頃吹いた木管も、今は、今の十代に操られているだろう。

今日、あの人の胸に抱かれたギターも、あの子がテイクしたサックスも、

すばらしく幸福な音楽を奏でてゆくにちがいない。

そんな、幸せを、うれしむ人、

楽器屋には、

なんてワクワクする人間と、なんてドキドキする発見があるのだろう。

 

結局、イシバシ楽器津田沼店の領収書でスパゲッティをいただいたボクは

また店内に戻り、ヤマハやら、アリアやら、散々試奏したあと、

2万8千円の、薄いベージュのスパニッシュアルマンサを買い求めた。

こいつが、いちばん、ボクの好みだった。

高木さんが電卓を叩いて、2万6千円にしてくれた。

ポイントカードがあったので、2万5千いくらか、に、なった。

ずいぶんちがうぞ。

 

その夜、

ボクは、ずっとずっと、このギターを弾いた。