山本正之のズンバラ随筆  第四話 「ビレッヂの奇跡」

 

 

1986年、57thのNIPPONCLUBギャラリーで、ボクは二人の友人と出会った。

その環境としては、先輩斎藤吾朗画伯のニューヨーク個展の会場だ。

エクジビジョン初日の記念パーティーの席。

多くのアメリカ人と少しの中国人、そして我々日本人。 一人は、

当時ニューズウィーク社のジャーナリスト、ドリアン・ベンコイル。取材で参列した彼を

紹介された時は、今、こんな親友になろうとは、全く予想しなかった。

翌日、吾朗さんが出演するラジオのスタジオに、ベンコイルは通訳として同行し、

ボクは記録用のカメラマンとして赴き、ベンコイルのおすすめのレストランでブランチを

いただいた。ただ、それだけのことだった。 もう一人は、

国連のデスクに勤めていた、MISSクミ・ヤスイ(安井久美さん)

彼女は、この斎藤吾朗のニューヨーク個展をプロデュースした安井道代さんの娘さん。

作曲家のボクに興味を持ってくれて、15分程立ち話をした。ただ、それだけのことだった。

 

時は経ち、1989年の6月。ボクはたったひとりで渡米し、レキシントンのアパートに

荷物を解いて、ゆっくりとマンハッタンの散策に出掛けた。

地下鉄6でグリニッヂビレッヂまで行き、ワゴンの上の風船を横目で見ながら歩く。

人混みの中、すれ違った白人カップル。記憶が揺れる。この男、オレ、知ってる。

アメリカなのに、オレ、知ってる。誰だっけ、んんんーーー、あっ! あの時の、

ラジオのスタジオの、ブランチの、あああ、名前、思い出せない

「こんにちわ、あのー、ゴローさんの、ミスターサイトーの、ええと、サイトーゴローの」

「ワタシワ、ゴロサイトージャナイヨ、ゴロサイトーハダレカナ、アアア、アナタハ!」

「そうそう、ボク、MASAだよ、コンポーザーのMASAです!」

「オー、YES! I KNOW YOU ! 」 

 

これから保険の手続きに行くから、明日、また会おうというベンコイルとわかれて、

ボクはそのままワシントン広場へと歩いた。この間、約15分。

ワシントン広場のゲイトを通り、犬の遊び場の横のベンチの前、日本人女性がフラフープを

持って、東洋人の少年と楽しそうに話している。

あああああ! 久美さんじゃないか!

「こんにちわ!久美さん。」 「きょとん」 「山本ですよ!」 「あっ、あああああ」

「また来たんですよ」 「まああああーー、なんという御縁でしょう!」

 

この日の夜、ボクと久美さんは、当時ブロンクスに住んでいた、東河精也を交えて、

ビレッジバンガードでジャズを聴き、W4ストリートでケーキを食べ、親交を暖めた。

 

翌日、ボクとベンコイルとベンコイルに添っていたキャシーさんとの3人は、

スーパーで挽肉を買い、炭を買い、ズッキーニを買い、キャシーさんのアパートで

本格的なハンバーガーを焼いて、ディーナーをいただいた。

 

   君の街はグリニッジの シェリダンスクエアーの

   角の店でイタリア人が チャコールを売る街

 

今も続いているよ。この時の奇跡が。

ベンコイルは、ボクがニューヨークに行く度に、ボクがニューヨークにいる毎に、

ボクの家族だし。

久美さんは、日本で、埼玉の大学の教授に嫁いで、とても幸せで、ボクは、その母君と

いつも、ニューヨークでデートする。ホテルヲルドルフアストリアをくぐって、パーク

アベニューに出て、マジソンのカフェで、とびっきり美味しい紅茶をいただく。

 

こんな事もあったよ。

1986年に戻るけど、フォレストヒルズのハウスで共同生活をしている、ゴロさんの妻

京子ちゃんと、エンパイアステートビルでばったり会っちゃった。

1989年、アパートのルームメイトの筵田君と、マジソンスクエアガーデンで

ばったり会っちゃった。

1995年、コンドミニアム・コスモポリタン21Bで共同生活している、宮沢みいと

ブロードウェイのチケット売り場で、ばったり会っちゃった。

 

ニューヨークに、いったい、人が何人いると思う? そこで、ばったり会うんだよ、

今朝、いっしょにパン食べた家族と。

 

ニューヨークはそんな街。不可能が可能になる処。素晴らしい体験が待っている街。

 

   〈 超現実の街 〉

 

日本のさ、くだらない対人関係をひきずらないでさ。

遊びにおいで。ボクがお世話しちゃうんだから。