少しずつ愛してやまない桜…。 年々桜の美しさが心にしみわたる。 10代20代の頃見た桜と、 たった3年しかたってない今見る桜が どうしてこんなにも違うものなのか…。 今見る桜がすでにこんなに味わい深いものならば、 おばあちゃんになってから見る桜なんて この世のものとは思えないほど美しく見えるの? 家の近所の幼稚園に咲く立派な桜の木。 幼稚園と桜の木のベストカップルぶりに、惚れぼれ してしまう。大きな桜の木の下で、 子供達が遊ぶ声が響き渡る小春日和の4月。 そこを通った瞬間、なんだか映画を観てるような 感覚…今思えば、それは一瞬にして幼い頃を 思い出していたに違いない。 この記憶が喪失ぎみの私が昔を思い出すなんて、 めったにありえないことだ。 桜の美しさが、今の私に安らぎを与えてくれる。 桜の木からしたら、まだまだ未熟者に見えるの だろう私は、こうして少しづつ桜を愛している。 桜並木の道を通る時のなんともいえない気持ちは、 桜に酔いしれているということなのだろう。 臨死体験を経験したことがあるという人が 必ず見るという花畑。 人間の「心」と「花」には深い関わりがある のかもしれない。 何年か前、小さな女の子が庭に咲く花を見て、 「わーきれいにさくらんでるね」と言った。 私はその「さくらんでる」という言葉に心打たれた。 今その女の子は高校生。 そしてその言葉に心打たれた私は今は… |