第七回 京都駅(京都府京都市)

心の故里、京都駅



いきなり宇宙人に会う。
・いぇい(足がキュート)


京都駅、新しさが、古き良き以前の京都駅を変えたが、何回か来てみると、
もうすでになじんできて、京都駅の新しい時代の匂いを漂わせはじめていた。
私が、すでに好きになってしまったのは、大好きな伊勢丹が登場しているからだ。
広い、新しい、好きなブランドの洋服がたくさん売っている、という条件のそろっている、京都駅伊勢丹。
もう私のなかでは、伊勢丹のある京都駅なのである。
手塚治虫氏の京都駅という感じもしているが、
何故かこの日は、謎のキャラクター、電気関係の宣伝のために現れていたようであるが、かなり目立っていた。
私が、新しくお借りしているデジカメを向けたら、こんなポーズをとってくれた。
おちゃめなでかい赤ちゃんである。
おむつっぽくみえる青いパンツがかわいい。
中に入っているのは男性なのだろうか女性なのだろうか。足の感じは女性っぽいが、
手の、いぇいポーズが、男性かもと思わせる。まぁどちらでもいいのだが、
この中に入っている方は、デジカメにとられる時、きっとこの着ぐるみの中で、笑顔を作っていたのだろう。
京都駅には、前来た時も、何かの宣伝で3人の人達が踊っていた。たしか真中は着ぐるみの人だったような気がする。
子供達だけがその回りにいて、一緒にリズムをとって踊っている子もいたように記憶している。
パフォーマンスの駅、京都なのであろうか!?



修学旅行生
・懐かしいの一言に尽きるのである。


私も修学旅行は京都であった。
懐かしの京都。麗しの京都。
しかし、今思えば、もっとちゃんと見て記憶しておくんだったと思うのである。
きっと京都を後にするこの修学旅行生達もそう思う日が来るのであろう。制服が懐かしさをかもしだしている。
あんなにいやだった制服を、今は懐かしく思い出すなんて、思い出は本当に良くできているものだ。
私は、今では信じられないが、夏でもセーターを着ていたぐらいに、夏の制服が嫌いであった。しかも
不思議なほど汗をかかない体質だったので、そんなこともできたのだが、今じゃ考えられないのである。
夏にセーターなんて。
スポーツバックも、懐かしい。しかし今や、
プラダがスポーツバックを出す時代である。そのスポーツバックを欲しがる己がいるわけである。
まったく、時がたてば、人も街も変わるものなのだ。



京都駅のろうそく
・この景色を見たら、京都駅に来た、という感じなのである。いい景色である。


昔っから、京都駅前にあるこのろうそくビル。
この風景なくしては、京都駅とは言えないであろう。
京都駅が新しくなったと聞いた時、このろうそくまでなくなったのではと心配などした私なのである。
2000年のこの年に見るろうそくは、古さよりも、なかなかの貫禄がある。
どうか、このろうそくビルはなくならないでほしいと思っているひとりなのである。
願いは、この京都の街には、うずまいているようではあるが。



鈴虫寺
・願い事がある方はここに来られると良い。


ここで願い事をすると、私は必ず叶うのである。
お地蔵様好きの私にとっては、京都に来たら、必ずといっていいほど、時間がある時には寄らせていただく。
ご住職のお話しを聞き、お茶とお菓子をいただき、お庭を拝見して、最後に、願い事をして帰るのである。
はじめて行ったのはいつだったか、ずいぶん前であるが、鈴虫寺は私の好きな場所のひとつである。
わらじを履いたお地蔵様は、めずらしい。願い事をかなえに来てくださるのだ。
また京都に行く機会があれば、お礼方々、願い事をしに伺いたいのである。
ご住職の話が、おもしろいので、ぜひ立ち寄った際には、話しを聞かれると良い。



かめもお出迎え
・亀の石である。そういえば、私がずーっとお世話になっている衣装さんは、亀石さんである。


庭には、石で作られたものや、木、そして眺めもいい場所もあり、なかなかみごたえのある庭である。
私は庭に憧れる。あまり憧れるものがない中で、唯一、庭がある家、というのには憧れるのである。
という私は、観用植物でさえも育てるのが苦手なのだ。庭は、庭師の方に任せて、
観賞するだけなんて、憧れるのである。憧れるのは自由なのである。



お茶とお菓子
・暑い時に飲むお茶が、なかなか、なのである。


ご住職の話を聞き終わったら食べるという感じよりも、どうぞお持ち帰り下さいという感じだ。
私は持ち帰って来た。お茶が、のどを潤してくれる。
やはり、日本人はお茶の国の人だ。おはしの国からお茶の国へ。
最近は、フォークとナイフの国になりつつあるようである。私は中学の頃、給食で、
なんでも上手にフォークで食べると友達からお誉めの言葉をいただいたことがある。給食が懐かしい。
お茶は、私が一番好きな飲み物でもあり、一番いやな思い出も持っている。
好きと嫌いは、かみひとえなのだ。



蛙の石の上にお金が。
・これでは飛べない。


落とさないように頭の上を気にしているように見える、かわいい蛙。
本物の蛙は苦手なのだが、こういうツクリモノになるとかわいく見えるのはどうしてであろうか。
それを言うなら、くまである。赤ちゃんのくまはかわいくて、それこそぬいぐるみ状態だが、
大人のくまはこわいだけだ。
しかし赤ちゃんは偉大である。かわいさを生まれもって武器にしているのだから。
偉大なる人類の赤ん坊。



長い階段
・この階段を上ると鈴虫寺に辿り着く。なんともいえない風流を味わうことができる。


暑い暑いと言いながら上ったり、寒い寒いと言いながら上ったりしていると思うと、
味わい深い階段である。普段、階段はさけて、エスカレーターに乗ってしまう体力のない私。
これからは階段に上ろうと思っているまさに今、すでに足だるし。



・階段を昇るとそこは、鈴虫寺だった。
長い階段を昇り切ると、お地蔵様が出迎えてくれる。「ごくろうさん」と言っているかのようだ。
なんだかほめられたような気分である。


鈴虫寺には、もう何度か足を運んでいるが、何度来ても心穏やかな気分にさせて下さるのだ。
来て良かったという満足感いっぱいに、美味しい空気をたくさん吸って、
またこの階段を下りる時には、気持ちいい景色を眺めながらゆっくりと一段一段下りてみたりしてみるのだ。
階段を下り切ったら、茶店が顔をのぞかせる。ほっと一息つきたかったが、
その日は、タクシーで来ていた為のんびりとすることは出来なかったが、今度来る時は、
あとの時間を考えずに来たいと思ったのである。



・人力車
あ 人力車である。タクシーの中から慌てて撮ったが。無人人力車である。


なかなか東京ではお目にかかれない光景だ。私の事務所のN先生は乗ったらしい。
N先生はしきりに「おもしろいから乗れば」と私にすすめられたが、まだ若輩者の私は辞退した次第である。
というのも、慣れない人力車に乗って肩が凝りそうで、などど思い、何度か嵯峨野には来ているが、一度も乗っていないのである。
人力車のおにいさんのお顔が見えないのが残念である。
嵯峨野には、豆腐料理を食べに、いつも時間があれば寄るのだが、お気に入りの店があるのだ。
広い庭もあり、なかなか贅沢な時間を過ごせる店なのだが、以前誰かのすすめで来て以来の
たまに来る常連である。
博多に来たらめんたいこ。京都に来たら豆腐、なのである。
嵯峨野には、何軒も豆腐料理の店があるので、違う店にも入ってみたいと思うのだが、
いつも、同じ店に行ってしまう。しまうと言いながら、もう最初からそのつもりなのにという感じなのであるが。



・八坂神社
吾輩のおみくじをひく場所。

子供が。なんともいい風景だ。子供と神社。猫と神社。巫女と神社。
ちょうどお祭りの時季に来たが、風情というのはこういう時のためにあるのかというぐらい、風情があった。
正月の時季だったか、またそんな時季に行きたいものである。
正月の京都はあでやかだ。着物を着てカタカタと京都の街を歩いてみたいものである。



・街並み

いい景色である。京都に来たら必ず見る景色だ。いつか、時間がゆるされる限り、京都の街を散策したい。
新婚旅行に海外は当たり前の世の中だが、京都というのもいいのではないか。
目下そんな予定はないが、以前は新婚旅行は熱海、とか思っていたのだが、
京都もいいななどどうつつをぬかす。



・ちょうちん
私の友人の旦那にちょーちゃんという人がいるが、私と同い年の友人Kちゃんの旦那。もう子供は中学一年ぐらいであろう。
一度、私のコンサートに子供を連れて観に来てくれたことがあり・・・ちょうちんからおもわぬことを思い出したのである。


何故か懐かしさを覚えるちょうちんによく目を奪われる。日本人なんだなと思う瞬間であり、下町方面で育って、
下町育ちの親に育てられたということを思い出す瞬間である。
小さい頃、私は向島というところに住んでいたことがあるようだ。まだおもちゃのくるまを乗り回してる頃である。
父親は浅草生まれの浅草育ちのようである。
私は子役の頃、浅草に撮影で行ったりしていたので、下町を思い出す物を見ると、懐かしい気持ちになるのである。
お祭り好きは、昔から浴衣を着て近所の盆踊りに顔を出していたからであろう。
パケラッターのパーオパオキュー



・おみくじ◇恋みくじ
普通のおみくじと、恋みくじがあったので早速ひいてみた。


最近出現した恋みくじ。お客様のご要望にお答えしたのか、突然現れた、恋神様なのである。
これでひくのは2回目だ。もうひかなくてもいいと良いのであるが。
それもまたつまらなきかな恋みくじ。おみくじは誰が考え出したのだろうか、
必ずおみくじをひいて帰る私としては、興味しんしんなのである。
私はだいたい家にお持ち帰りすることが多いが、木などに結びつける時がなかなかに気を使うのである。
正月以外はあまりおみくじをひかないという人が多いと思うが、私は子供の頃からおみくじ好きなのだ。
おみくじのようなもので、その昔、レストランなどのテーブルに置いてあった、
丸い物体の星座占い機を思い出す。
あれは何座でも同じだと聞いた時、軽いショックをうけたものだ。



・制服の女子、神社でひとまずこのあとの予定をミーティング中?

かわいい光景だが、ちょっとお疲れぎみの彼女達。若い時は、疲れてだらだらするものである。
それが、段々、だらだらしていてはもったいないと思ってきたりして、何故かあせりも入りつつ、
バタバタしてしまうのである。バタバタママなのである。



・美味しい稲荷寿司の店
職人。


ここの稲荷寿司は、最高に美味しい。中になんだったか、実が入っていて、その歯ざわりがなんともいえず、
美味なのだ。毎日食べても飽きないのではないかと思う程、私の口に合う味なのだ。
ぜひ、京都八坂神社に行った折には、この店に寄ることをおすすめしたい。
八坂神社の向かいの信号を渡ればすぐにある。
休みの日などは混んでいると思われるが、待つ価値大ありの稲荷寿司なのだ。



・ようじや
この顔を見れば一目瞭然、ようじやどすぇ


ここでいつも、あぶらとりがみを購入するのだが、この日はようじやでは買い物はせず、
ここの近くにあるということを発見した、「くろちく」という店に行き、
お土産を購入した。その店は、京都にしかなく、和小物がとても充実していて、
絵柄が、とても上品、かつ、かわいいのである。
そこでは、お土産選びに熱中していて、デジカメるのを忘れてしまった次第である。
買い物好きもほどほどにしないとと、我ながら思う、京都の地。



・漬物屋
ここでは、同行した私の事務所のN先生が、たくさんお土産を買われていた。


漬物でも知られる京都は、いろんな漬物が売っていて楽しめる。
この日は買わなかった、漬物は必需品である。最近、セロリの漬物のファンだ。
この店は、上の階に食べられるところがあるが、まだ行ったことがない。ぜひ、また今度、
京都に立ち寄ったら、行ってみようと思うのである。
店内は薄暗く、漬物の蔵、という感じで、なかなか落ち着きながら漬物が選べて、おもむきがあるようなないような。


(第7回 おわり)